バヌアツ共和国の思い出

バヌアツ共和国の思い出

バヌアツ共和国
南太平洋の83の島から構成され、新潟県とほぼ同じ面積に人口は20万人。1906年に英仏の統治下に入り1980年に独立。


バヌアツに到着 私の長い歯科人生においてもっとも過酷(?)で楽しかったのは1997年にバヌアツ共和国に南太平洋医療隊(埼玉県坂戸市開業 時田信久 隊長)の一員として江黒医員と参加したことです。
首都ポートビラはヨットも浮かぶエキゾチックな街ですが、我々の医療活動を行ったのはそこから小さな飛行機で1時間あまりのマレクラ島です。

空港(といっても滑走路と小屋が一つあるだけですが・・・)に迎えに来た日本政府寄贈のボロボロの車には大きく「マラリアコントロール」と横書きされています。焦る江黒医員は「私に予防注射は打っていないのにどうするのですか?」と訴える始末。時田隊長は「今はマラリアの季節じゃないから大丈夫でしょう。念のため薬は持っているから大丈夫」と涼しい顔・・・我々のボランティアの初日はこうして始まりました。

バヌアツでの診療風景宿泊先の島の迎賓館(?)は夜中はネズミの運動会、シャワールームは土間でもちろん水しかでません。現代文明の落とし子のような我々にはまさに部屋の中でもアウトドアって感じでした。二日目からはマレクラ島の病院で診療です。日本政府寄贈の歯科診療設備はあるのですが、病院自体に医師も歯科医師もいません。薬剤師と看護助手で運営されているのです。
我々は抜歯を中心とした診療や入れ歯作りを行いました。隊員の先生方や歯科衛生士は皆熱心で夜、簗瀬・江黒がお酒をチビチビしている横で深夜まで及ぶ入れ歯作りをしていました。辛い事ばかりのようですが、こんなに私に充実感とすばらしい感動を与えてくれた旅はありませんでした。


バヌアツの子供たち

小学校の検診では子供たちが合唱で迎えてくれましたが、その澄んだ歌声は世界中のどんな歌手より心に染み入りましたし、夕方、海岸で釣りをする少年と身振り手振りや砂浜に絵を描きながら意思の疎通を図って、笑いあったり・・・・
島の人々もボランティア医療活動を行う我々へ心から感謝してくれました。
不思議なことはもしかしたら僕にもバヌアツの血が混じっているのかな?と思うほどでした。小学校でも保護区の村(わら葺き屋根の小屋に腰みのに裸の暮らし)を訪れたときも子供たちを集めて私と江黒医員とで大かけっこ大会です。150人ぐらいの子供たちが我々二人の後に続いて校庭や広場を駆け巡るのです。小学校の先生や村長たちもびっくりの光景です。見ようによっては子供たちの暴動のようです。

時田隊長にも「今まで子供たちとこんなに激しく楽しい交流をしたことはない。僕のような知的な人間にはできない交流だ」と褒められているのかわからない褒め言葉をいただきました。また、現在、インプラント学会でもご一緒の仕事をさせていただいている入江修充先生ともこの旅を機に大変親しくなりました。
短い8日間でしたが、また、いつの日かバヌアツを訪れみたいものです。


バヌアツの子供たち

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