東日本大震災現地活動報告
「3.11 東日本大震災への支援活動」
(公社)日本歯科先端技術研究所会長 簗瀬 武史
私は警察庁・日本法医学会の派遣により3月13日から 17日までの5日間を宮城県岩沼市、4月30日から5月5日までの6日間を宮城県角田市・名取市・東松島市・石巻市・ 女川町において災害時死体検案支援・身元確認作業に従事しました。日本法医学会は阪神淡路大震災での経験を活かし、災害時死体検案支援対策本部を設置し、震災直後より警察庁の要請により岩手県・宮城県・福島県へ会員の派遣 を行いました。3月11日の金曜日に地震が発生しましたが、 日曜日の夕方に警察庁に集合せよという連絡を受けて、同日未明に現地に入りました。
現地は非常に寒い時期で、かつ余震も多く発生していたため、宮城県警より安全確保への配慮があり、宿泊は山形市内でした。
朝6時過ぎに山形県警のマイクロバスで宮城県警本部に移動し、そこから分散して宮城県各地の検案会場に向かいました。夜は全員が 夜10時頃に県警本部に帰還し、山形の宿舎に戻るのが12時頃ということで、安全は確保されていますが、時間的に は非常にタイトなものでした。
宮城県に第1期として派遣されましたが、インフラはすべて破壊され、直後の震災地は混乱しており、検案会場には続々とご遺体が収容され、その甚大さは対応の限度を超えていました。地元歯科医師会と共同で検案・身元確認作業を行いましたが、現在、口腔内所見の採取方法・記載方 法がシステム化されていないため、記録用紙および口腔内写真撮影・エックス線撮影等の点で地元歯科医師会との軋轢も生じました。しかしながら、共通の悲しみ、義務感を有するわけですから、その誤解はすぐに寛解したのは言うまでありません。直後の従事において死後硬直が生じているご遺体の開口は容易ではありませんでした。5月は第11期として派遣されました。3月と異なり、ご遺体数は減少傾向にありましたが、約2カ月経過しているため、ご遺体の死後変化は激しく、あらためて大震災の傷跡の深さを再認識させられました。
3月の被災地は、お亡くなりになった人々の尊厳を守るため、行政、自衛隊、海上保安庁、消防、警察の諸官は不眠不休での作業に従事しており、被災した人々、救助を行う人々すべてが未曾有の出来事の中で生と死に直面しながら必死に生きた時間だったと思います。多くの歯科医師が検案支援に従事し、社会貢献を行いましたが、誰もがこのような過酷な業務に従事した経験はなく、その精神的な疲労や負担は多大であり、PTSD に対してのアフターフォローも必要かと思います。従事された先生方が帰任直後、やはり気が重くなることは致し方ないと思います。ただ、我々の従事は一日も早く、ご遺体をご家族の元にお返しする努力です。お亡くなりになった方や、ご遺族への奉仕であり、無言の感謝が存在すると信じることが大切です。
また、今回の経験がまたいつか訪れる災害の備えになるよう、法歯学のさらなる充実や歯科医師会の緊急対応システムの構築につながることを願っています。今回のような大規模災害では、警察、自衛隊、消防、海上保安庁、医師会、 歯科医師会、日本法医学会が活動していて、即時対応するために、日頃から他の組織とのチャンネル作りをすることが大切だと思います。
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