市民新報コラム

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西郷どん1(2018年2月)

新年より大河ドラマ「西郷どん」が始まりました。出身が鹿児島ということもあり、私は日本の歴史の中で特に幕末、明治維新が大好きです。 この時代のキーワードはRevolutionとEvolution。 そして西郷隆盛と、大久保利通の二人なくしては、明治維新を語ることはできません。

鹿児島で西郷隆盛といえば、神様のような存在で、西郷さんの功績を否定などしようものなら、大変な騒動になってしまうほどです。とにかく貧しかった薩摩藩で、十年以上もひたすら農業指導に明け暮れ、農民や下級武士などの貧しい人たちに寄り添い、自分の信念を貫くためには、主君にすら楯つくという、主従関係のはっきりしていた封建制度の時代においてはまさしく命がけの潔い生き方を貫いた人です。貴賎なく人と接し、清貧を旨とし、朴訥なまでに命を惜しまずことにあたった西郷隆盛がいたからこその倒幕であったことは間違いないでしょう。

しかし天邪鬼の私は、鹿児島では征韓論に敗れた西郷さんと袂を分かったために誠に不人気の、大久保利道公の方に共感を覚えます。倒幕は西郷隆盛や坂本龍馬なくしては成し得なかったでしょうが、廃藩置県を推進し、内務省を設立し、富国強兵をスローガンに、日本の近代化を推し進めたのは、大久保利道その人です。今の日本の官僚機構の礎はこの時作られたものです。

ある意味では倒幕よりずっと困難な、近代日本を新たに建国するという実務をコツコツと独力でやり遂げた大久保の座右の銘は「為政清明」。政府事業に関わる費用の調達では個人で債務保証をし、暗殺されたあとには借金が2億円もあったと言われています。同じ薩摩に育ち、同じ学び舎で学び、同じ志を抱きながら袂を別った西郷隆盛と大久保利道ですが、自らの高潔な信念のためだけに行動し、決して私利私欲に走らず、命すらも惜しまないところは全く同じです。二人の友情は、根底では生涯変わることがなかったのかも知れません。

(文責 神奈川歯科大学客員教授 医学博士 簗瀬武史)

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