市民新報コラム

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3.11(2012年4月)

東日本大震災から1年がたちました。多くの人々の命が失われ、悲しみに包まれた1年でした。未だ、原発の問題は収拾がつかず、多くの人々が長年住みなれた土地から離れ、精神的な重圧の中で暮らしています。

あの3月11日は日本中の時間が止まった一日かもしれません。自然の暴挙が平和に過ごしてきた善良な人々を悲しみの淵に突き落とした一瞬でした。私も宮城県において3月と5月、災害時死体検案支援身元確認作業に従事しましたが、あの混乱と悲しみに包まれた空間は想像を絶するものがありました。今も安置所の外でふいに「先生、俺は今、財布も何もかも流されて家族の消息もわからない、どうすればいいんだろう?」と声をかけられたときに「がんばってください」としか言えなかった情けない自分を思い出します。

悲しみを抑えて黙々と殉職した同僚のご遺体の死体検案作業に従事していた岩沼警察署の警察官たち、自分たちの故郷を守る決意をしていた医師・歯科医師たち、泥水にまみれながらご遺体を発見して搬送してきた自衛隊員・消防隊員・消防団員、肉親を探して遺体安置所の掲示を見入る多くの人々、給水車を待つ人々の長蛇の列など私の記憶に刻まれました。また、埼玉県からも公務員・警察官・医師・歯科医師・看護師・薬剤師・歯科衛生士・臨床心理士や関係職種の方々が被災地で尽力されました。
先々週は多くのテレビ局が震災の特集を報道していましたが、1年たって、少しずつこの悲しみを忘れている人々もいるような気がします。がれき処理の問題でも受け入れを反対する人々もいるようですが、冷静に考えれば、協力できることは国民全員がすべきだと私は思います。昨年は多くの人々が義捐金の協力やボランティアへの参加をされたと思います。ただ、復興にはまだ何年もかかるような気がします。あの悲しみを忘れず、人々の継続的な復興への協力が被災地だけでなくこの日本をよくするような気がします。

(文責 (医)泰峰会  ヤナセ歯科医院 医学博士 簗瀬武史)

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